風に吹かれて。
2020年の年末に「土の時代」というものが終わり、「風の時代」という新しい時代が始まった。それぞれを簡単にまとめると、「土の時代」は、お金・質・地位など“目に見える形で豊かになること”を大切にした時代。対して「風の時代」は、自由・平等・柔軟性・情報・知性・精神性など、まさに“風”のごとく、“目に見えないもの”の価値が高まり、軽やかに生きていくことが求められる時代、とのこと。
なるほど、うまいことを言う人達がいるもんだ。私が長い間「生きにくい」と感じていた理由は、土の時代ゆえだったのかとこの時、妙に頷いた。
風の時代のお手本のような生き方はまるで自分自身のようだと思う私にとって、土の時代のお金や社会的地位といった目に見えるものを評価基準として生きる事は、苦行でしかなかった。お金や社会的地位を手に入れるには、親のコネや資産家の娘でもない限り、努力・根性・忍耐に加え、先に成功している者の提灯を上手に持つというスキルが不可欠である。
社会や上司の“正しさ”で生きる。それは自分を幸せにする為に致し方ない。だから我慢。
そう信じ、自分を押し殺して発動し続けた努力根性忍耐+提灯持ちという昭和を代表する3種の神器とエライ人専用の灯を持ち続けてそれがやっと手に入った時、私はブッ壊れた。
母に引きずられて辿り着いた心療内科で「適応障害」と診断された。あまりに的確な診断名に笑ってしまった。(母はその瞬間を狂気の沙汰と表現している。🤣)その後、結婚・出産などライフステージも変化した。娘が生まれ退職。これまでの暮らしにピリオドを打ち、今に至る。
話が脱線したがそんな背景を経て2020年。風の時代とやらを初めて聞いた時、
「遂に、遂に!!長ーーーーーーい長ーーーーーーーい修行が終わりました!!!!おめでとうございます!!!!!!!!」
と、私の中のずっと奥にある核が、針の山を歩くような苦行を乗り越えてきた自分を盛大なファンファーレとフラワーシャワーで讃え、私の身体は土の時代のフィニッシュテープを切った。(ような気がした。笑)
あれから3年。遂に本格的に風の時代へ舵をきったと言われる今、私の体感としてなんでも”風と共に”のような感覚がある。チャンス・モノ・人・環境・感情などの全てが風にのっている。
例えば、「これがやりたい」とひらめいた事はすぐに取りかからないと、やりたいと思った気持ちすらサーーーっと風に流される。”計画的に”なんて考える時間はない。まるで「全てはタイミングですので〜by風」とでも言うかのように風は留まる(考える)時間など与えてはくれない。
チャンスという風にヒョイっと乗り、ヒューンと目的地を目指す。動きながら考えなければ、目的地へ向かう風に乗る事はおろか、あさっての方向へ飛ばされてしまう。自分自身の感情や周囲の状況も風向きのようにコロコロと変わる。吹いたり、止んだり、別の風が吹いたり。そんな時に「決めたからやり遂げなければ!」などと土の時代のやり方で地に足をつけ踏ん張ろうとする事は風から降りるようなものである。あっという間にその風は過ぎ去ってしまう。地に足をつけたら、風には乗れないのだ。
努力と根性を否定する訳ではないが、風に乗るには重い。いかにその風(チャンス・タイミング)に乗ることができるか、あらゆる事のバランスをとりながらその風に乗り続けることができるか、その時々で最適な風に乗り継ぐことができるか、これに尽きる。
「地に足をつけ、地道にコツコツとやりなさい」
「一度宣言した事は、やり遂げなさい」
「やり始めた事は、続けなさい」
この3つの言葉を見聞きするたびに私は「もう2度と針山は御免」と心の中で呟き、風と共に去りぬ。
私は“今”やりたい事ができることが幸せなのだ。
その幸せの点を線に並べたものが、過去と未来、はたまた人生と呼ばれるものになるのだから、大いに気まぐれに今吹く風を楽しんで生きたいと思う。
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